2006年3月22日、シングル『Real Face』、アルバム『Best of KAT-TUN』、DVD『Real Face Film』の3作同時リリースという前代未聞の形でメジャーデビューを飾ったKAT-TUN。ジャニーズ(現STARTO ENTERTAINMENT)の王道アイドル像を覆す「不良っぽさ」と圧倒的な華で社会現象を巻き起こした伝説のグループも、デビュー20周年という大きな節目を迎えています。
結成当初は6人組としてスタートしたものの、メンバーの相次ぐ脱退を経て現在は3人体制で活動を継続中。激動の歴史を辿ったカトゥーン初期メンバーは、なぜ別々の道を歩むことになったのか。グループ名の由来から脱退の真相、そして元メンバーを含む6人の2026年最新の動向までを徹底追跡します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:KAT-TUN初期メンバーは亀梨・赤西・田口・田中・上田・中丸の6人。『Real Face』で鮮烈なミリオンデビューを記録。
- 要点2:グループ名は頭文字に由来。脱退順は赤西仁(2010年)、田中聖(2013年)、田口淳之介(2016年)の順。
- 要点3:2026年現在、残る3人は20周年を迎え第一線で活躍し、元メンバーたちもソロアーティスト、プロ雀士など独自の領域を開拓している。
【原点】カトゥーン頭文字の由来と初期メンバーカラー・6人時代人気順
KAT-TUNというグループ名は、当時の社長であるジャニー喜多川氏によって命名されました。最大の仕掛けは、カトゥーン頭文字の由来が初期メンバー6人の名字に直結していた点です。
K(亀梨和也)、A(赤西仁)、T(田口淳之介)、T(田中聖)、U(上田竜也)、N(中丸雄一)。そして間をつなぐハイフン(-)は「ファン」を象徴しており、「ファンがメンバーを繋ぎ止めている」という意味が込められていました。文字が一つでも欠ければ成立しない完璧なネーミングだったからこそ、後のメンバー脱退はファンに計り知れない衝撃を与えることになります。
当時のKAT-TUN初期メンバーカラーは、現在とは一部異なる構成でした。亀梨がピンク、赤西が赤、田口がオレンジ、田中が黄、上田が青、中丸が紫を担当。黒とシルバーを基調とした攻撃的な衣装をまとい、王道の「王子様路線」とは対極のギラギラとした個性を放ちました。
ファンコミュニティや当時のメディア露出を振り返ると、KAT-TUN6人時代人気順は「仁亀(じんかめ)」と呼ばれた赤西仁と亀梨和也のツートップが圧倒的な支持を獲得。日本テレビ系ドラマ『ごくせん』第2シリーズへのダブル出演で全国的な知名度を確立した2人がグループを牽引し、ラップで攻撃的なサウンドを支える田中、アクロバットと明るいキャラクターで親しまれた田口、独自のビジュアル世界を追求した上田、ボイスパーカッションと親しみやすい人柄の中丸が脇を固めるという、完璧な役割分担が完成していました。
KAT-TUNデビュー曲RealFaceは、作詞・スガシカオ、作曲・松本孝弘(B'z)という超豪華布陣で制作され、ミリオンセラーを達成。瞬く間に東京ドーム公演を成功させるなど、まさに破竹の勢いを見せていました。
【年表】カトゥーン脱退順まとめ|栄光の6人から3人へ激動のタイムライン
爆発的な人気を誇りながらも、規格外の個性派集団ゆえに衝突や方針の違いが表面化するまでに長い時間はかかりませんでした。グループを大きく揺るがしたカトゥーン脱退順まとめを整理します。
最初にグループを去ったのは、グループの象徴的なエースだった赤西仁です。2006年のデビュー直後に語学留学を理由に突如活動休止を発表し、半年後に復帰したものの、2010年7月に正式脱退。ソロ活動へと舵を切りました。
続いて2013年9月、ラップ担当として音楽的支柱だった田中聖が契約解除によりグループを離脱。メンバーへの事前相談がないまま下された事務所の決断は、ファンのみならずメンバー自身にも深い爪痕を残しました。
そしてデビュー10周年の節目を控えた2015年11月、日本テレビ系音楽特番の生放送中に田口淳之介が脱退を発表。2016年3月末をもって事務所を退所しました。これによりグループは結成時の半数となる3人へ減少。グループは「充電期間」と称した活動休止に入り、約1年8カ月のインターバルを経て2018年に再始動を果たしました。
【脱退理由の真相】赤西・田中・田口がグループを去った決定的な背景
3人のメンバーは、それぞれまったく異なる文脈と理由でグループを離れることになりました。公式発表の裏にあった個々の葛藤と決断の背景を掘り下げます。
赤西仁KAT-TUN脱退理由の根底にあったのは、明確な「海外志向」と「音楽性の乖離」でした。ダンスミュージックやR&B、全編英語詞による楽曲制作に強いこだわりを持っていた赤西は、日本のアイドルグループという枠組みの中で活動を続けることに限界を感じていました。2010年のアメリカ・ロサンゼルス単独公演を契機に、世界基準での表現者を目指す意思を固め、メンバーや事務所との協議の末に脱退を選択しました。
一方、田中聖専属契約解除理由は、自らの意思による卒業ではなく「度重なる事務所のルール違反」による解雇でした。ジャニーズ事務所(当時)は「度重なるルール違反行為があった」と発表。具体的には、事務所に無断での飲食店(バー)経営やクラブイベントへの出演、タトゥーの露出など、専属契約事項に対する違反が重なった結果の措置でした。グループの誰よりもKAT-TUN愛が強かったとされる田中だけに、この契約解除はメンバーにとっても痛恨の極みとなりました。
そして田口淳之介脱退経緯は、30歳という年齢を迎えるにあたっての「個人の人生設計」が引き金となりました。2015年の生放送で突如発表された脱退劇について、田口本人は「30歳を目前にして、これからの人生の歩み方を考えた結果、自分の道を歩みたい」と説明。当時、グループの冠番組や10周年の大型企画が動き出していた最中での決断だったため、他メンバーとの温度差や葛藤が生じることとなり、亀梨が「本当に情けない、申し訳ない」と生放送で涙ながらに謝罪する事態へと発展しました。
【2026年最新】カトゥーン元メンバーの現在と衝撃の近況
グループを離れた3人は、2026年現在どのような活動を展開しているのか。気になるカトゥーン元メンバーの現在を追うと、それぞれの選んだ道で全く異なるキャリアを歩んでいます。
最もグローバルな成功を収めたのが赤西仁です。赤西仁現在の活動は、インディペンデントアーティストとしての理想形とも言える地位を築いています。自身の主宰レーベル「Go Good Records」を基盤に、作詞・作曲・プロデュースを自ら手掛ける楽曲リリースを継続。中国をはじめとするアジア圏での絶大な人気を背景に、アリーナクラスのツアーを成功させています。近年は日本のバラエティ番組や音楽フェスにも自然体で姿を見せるなど、メディアとの関係性も完全に再構築。錦戸亮との共同プロジェクトや実業家としての側面も含め、自立した表現者としての確固たる地位を誇ります。
田口淳之介は、マルチなタレント性を意外なフィールドで開花させています。ソロ歌手としての音楽活動や俳優業を継続する傍ら、2022年には日本プロ麻雀協会のプロテストに合格。現在はプロ雀士としての対局や麻雀関連の番組出演など、知性派としてのポジションを確立しました。地道なファンミーティングやイベント開催を通じて、息の長いファンとの交流を大切にしています。
波乱の人生を送っているのが田中聖です。グループ離脱後はロックバンド「INKT」の結成やソロ活動で再起を図ったものの、度重なる違法薬物所持・使用による逮捕・実刑判決を受け、長らく法的な償いとリハビリの期間を過ごしてきました。関係者によれば、現在は支援者の支えを受けながら生活の再建と依存症からの回復プログラムに専念しており、表舞台への復帰よりも人間としての再生を最優先にする日々が続いています。
【現メンバーの今】亀梨和也・上田竜也・中丸雄一が守り抜いたグループの矜持
メンバーが半減するという未曾有の危機を乗り越え、KAT-TUNという看板を守り抜いてきたのが亀梨和也、上田竜也、中丸雄一の3人です。2026年、デビュー20周年を迎えた彼らは、STARTO ENTERTAINMENTへの体制移行という激変の波の中でも、それぞれの強みを極限まで伸ばしています。
亀梨和也現在の動きは、グループのフロントマンとしてだけでなく、業界全体のトップランナーとして注目を集めています。個人としてのマネジメント契約を見直し、ソロ活動の幅を飛躍的に拡大。映画やドラマでの主演はもちろん、スポーツキャスターとしての実績、さらには自身の公式YouTubeチャンネルを通じた他事務所アーティストとのコラボレーションなど、事務所の垣根を越えた発信を続けています。どの現場においても「KAT-TUNの亀梨」としての看板を背負い続けるプロ意識は健在です。
上田竜也は、自身の肉体派・兄貴肌のキャラクターを確立し、舞台やフェス、個人プロデュースのイベントで唯一無二の存在感を発揮。中丸雄一も情報番組のコメンテーターやイラストレーター、漫画家、YouTubeユニットでの活動など多才なマルチクリエイターとして独自のポジションを築き上げました。
「残された3人」ではなく、「KAT-TUNを生き残らせた3人」。彼らがライブで見せるド派手な特効(炎やレーザー)と力強いパフォーマンスは、20年を経た今なお後輩グループの追随を許さない圧倒的な迫力を放っています。
【カトゥーン 初期 メンバー】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:KAT-TUNのグループ名にあるハイフン(-)は、今でもファンを意味していますか?
A1:現在も変わりません。初期はメンバーの頭文字を繋ぐ役割でしたが、メンバーが3人になった現在でもハイフンは「ファンを表す大切な記号」として公式に位置づけられており、KAT-TUNのファンの総称自体が「ハイフン(Hyphen)」と呼ばれ続けています。
Q2:初期メンバーが脱退した後、メンバーカラーの変更はありましたか?
A2:はい、変更がありました。初期は亀梨(ピンク)、上田(青)、中丸(紫)でしたが、3人体制になってからは亀梨が「ピンク」、上田が「青」、中丸が「紫」をベースにしつつも、グループの基本トーンはブラックやシルバーを基調とした演出が定着しています。なお、脱退した赤西の「赤」、田中の「黄」、田口の「オレンジ」は、3人体制のKAT-TUNにおいて永久欠番のように扱われており、メンバーの歴史への敬意が感じられます。
Q3:元メンバーと現メンバーの間で、現在も交流はあるのでしょうか?
A3:公式な場での共演は極めて稀ですが、プライベートでの緩やかな繋がりは伝えられています。特に赤西仁はSNS上で現役メンバーの話題に触れたり、メディアのインタビューで当時の絆について好意的に語ることがあります。かつての確執や緊張関係は時を経て氷解し、お互いの道を尊重し合う大人の関係へと変化していることが窺えます。
まとめ:20年の荒波を越えてそれぞれの伝説を創る6人
2006年の『Real Face』から20年。初期メンバー6人が揃っていた時代は、ジャニーズの歴史においても奇跡と呼べるほど濃密で、危険な香りと熱気に満ちていました。
激しい時代のうねりの中で、3人がグループを去り、それぞれが自らの選択に対する責任を背負って生きてきました。不祥事や挫折を経験した者、世界へ飛び出した者、麻雀という新たな道を見出した者、そして何より、傷だらけになりながらKAT-TUNの看板を守り抜き、20周年へと導いた3人。
形は変われど、6人がかつて放ったあの眩い閃光は消えることはありません。2026年という節目を迎えた今、それぞれのフィールドで戦い続ける彼らの生き様は、かつてリアルを追い求めた少年たちの、何より雄弁な「答え合わせ」と言えそうです。 (出典: カトゥーン 初期 メンバー(Yahoo!ニュース))